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スポーツも人生も「正解」は自分の中にある

〜ラクロス日本代表から西粟倉村の地域づくりへ〜

今回の「心ときめく歩きかた」でお話を伺ったのは、岡山県西粟倉村を拠点に、スポーツを起点とした地域づくりに取り組む清家悟氏です。

ラクロス日本代表として活動する傍ら、人材サービス会社や教育機関などで経験を積み、「次世代により良い未来を残したい」という想いから西粟倉村へ移住。地域の課題と向き合う中で、スポーツが持つ多様な価値に可能性を感じ、現在は一般社団法人GOOD PLAYの代表として活動するほか、西粟倉村教育委員会の地域プロジェクトマネージャーとしても地域づくりに携わっています。

ラクロス日本代表への挑戦、地方への移住、そしてスポーツを通じたまちづくり。その歩みの中で、清家さんはどのような選択を重ね、何を大切にしてきたのか、清家氏の「心ときめく歩きかた」をお届けします。

遠回りに見えた出来事もすべてに意味がある

小学校から高校まで、大分県の小さな港町で育ち、陸上競技を続けていました。そこから、愛知県の大学へ進学するタイミングで、「新しいことに挑戦したい」と考えていた時に出会ったのがラクロスです。

未経験から始めたラクロスでしたが、競技レベルが上がるにつれて、自分の強みや弱みと向き合う機会が増えていきました。どうすれば自分らしく成長できるのかを考え続ける中で、一つの大きな決断をすることになります。

ラクロスでは本来、右手も左手も使えることが理想とされています。ただ、陸上出身だったこともあり、自分の身体感覚はある程度理解しているつもりでした。その中で、「これ以上練習しても、左は右と同じレベルにはならないだろうな」と感じ、思い切って利き手ではない左を捨てるという選択をしました。右手だけを徹底的に磨き続けた結果もあり、2011年には日本代表入りを果たすことができました。

その後の道のりは、決して順調なものではありませんでした。2011年に日本代表に入り、4年に一度開催される2014年の世界大会を目指して活動していました。

代表入りした際、自分はアタック(サッカーでいうフォワード)とミッドフィルダーのどちらで勝負するかを選ぶことができました。当時の自分は、自分の力にそこまで強い自信を持てていたわけではありません。アタックよりも選出される人数の枠が多かったことや、チーム事情、選考の状況なども考え、少しでも代表に残る可能性が高いのではないかとミッドフィルダーを選びました。

ただ、振り返ってみると、自分が最も力を発揮できるのはアタックだったのではないかと感じています。当時は代表に残ることを考えて選んだ道でしたが、結果として「選ばれる可能性ではなく、自分の一番の強みで勝負するべきだったのではないか」という思いが残りました。

その後、4年間日本代表から遠ざかることになりますが、この経験は、自分自身の強みとは何なのか、そしてその強みを信じて勝負することの大切さを考える、大きなきっかけになったと思っています。

当時は本当に悔しく、半年ほどは「もうラクロスはやらない」と、競技そのものから離れていた時期もありましたが、少しずつ気持ちを整理して、久しぶりに壁打ちをしに行った時、「やっぱり、このスポーツは最高だな」と感じました。結局、自分はラクロスそのものが好きだった。だからこそ、もう一度続けようと思えました。

そして次に代表へ挑戦するなら、絶対にアタックで勝負しようと決め、2018年の世界大会ではアタックとして再び日本代表に選出されました。西粟倉村へ移住してからも挑戦は続き、約2年前には村から東京まで練習に通う生活を続けながら、ボックスラクロスの世界大会に日本代表として出場しました。

振り返ると、成功も挫折もありましたし、迷ったことや後悔したこともたくさんありました。ただ、その一つひとつの経験が今の自分につながっていると感じています。

偶然を重ねて辿り着いたキャリア

大学卒業後は上京し、平日は仕事、土日はクラブチームでラクロスの練習という生活を送っていました。かなりハードな毎日でしたが、仕事終わりにジムへ通い、深夜まで身体づくりを続ける日々はとても充実していました。

そんな中で、「人のためになる仕事がしたい」という思いから最初に携わったのは、医療・福祉分野に特化した人材紹介や人材派遣などの人材サービスです。ただ、その仕事を続ける中で、「人を紹介すること」だけではなく、人材の原点には“教育”があるのではないかと考えるようになりました。そこで大学職員へ転職し、学生支援や広報、企画などの業務に携わるようになりました。

その後、子どもが生まれたことをきっかけに、「これからの日本はどうなっていくのだろう」という漠然とした不安を感じるようになり、社会課題への関心が強くなっていきました。都市部にいるだけでは見えない課題を、自分自身で体感しながら理解したい。そんな思いから「課題先進地域」と呼ばれる場所を探していた頃に出会ったのが、岡山県の西粟倉村でした。

西粟倉村は、「奇跡の村」とも呼ばれるほど、地方創生の分野ではよく知られている地域です。単に課題のある地域へ行くのではなく、成功事例が生まれている場所で経験を積み、その知見を別の地域へ広げていくことで、日本全体が少しずつ良くなっていくのではないか。そんな感覚がありました。ちょうどその頃、西粟倉村でまちづくりを積極的に進めていた会社が、「西粟倉の事例を他地域へ展開する」という内容の求人を出していて、それが転職のきっかけになりました。

移住後の約2年間は、まちづくりに取り組む会社で働きながら、自治体支援や鹿児島拠点の立ち上げなどに携わりました。そして、さまざまなタイミングが重なる中で、教育委員会から「スポーツや健康の文脈で地域づくりに関わってほしい」と声をかけていただき、この1年半ほどでスポーツ領域にも深く関わるようになりました。

スポーツに仕事として関わること自体は、それ以前から日本代表として全国でクリニックを開催したり、競技の普及活動やスクール運営を行ったりしていたのですが、スポーツを仕事にするつもりはありませんでした。

ましてや、「人口約1,300人の村でスポーツ事業を行う」なんて、当時は想像もしていませんでした。振り返ってみると、キャリアというものは偶然の積み重ねでできているのだと思います。ただ、その偶然は行動した人にしか訪れません。

私自身も、その時々で自分なりに考えながら行動を重ねてきました。その結果としてスポーツに関わる仕事へとつながり、今は「自分の価値を最大化できる場所は、結局ここなんだ」と感じています。

スポーツでも人生でも、誰かが決めた正解があるわけではありません。自分自身と向き合いながら行動し、その中で自分なりの答えを見つけていくものだと思っています。だからこそ、まずは動いてみることが大切であり、その積み重ねが、自分らしい人生やキャリアにつながっていくのだと感じています。

子どもたちの未来を広げる挑戦

現在は、総務省の「地域プロジェクトマネージャー制度」を活用しながら、行政と連携して仕事をしています。移住者という立場でありながら地域に深く入り込み、法人を立ち上げ、行政と現場の両方を行き来しながら活動できていることは、自分自身の強みだと感じています。

現在、約1,300人が暮らす西粟倉村で特に力を入れているのが、「部活動の地域展開」です。これまで部活動は、自治体や学校ごとに運営されることが当たり前でした。しかし、人口減少が進む地域では、チームスポーツそのものの継続が難しくなり始めています。

そこで現在、サッカークラブを立ち上げ、西粟倉村を中心に3県4自治体を巻き込みながら、「村を中心に20〜30分圏内で人を集めれば、サッカーやバスケットボールができる」という発想のもと、自治体の枠を越えたスポーツ環境づくりを進めています。

また、体育や競技スポーツだけに偏ると、「運動嫌い」を生みやすくなってしまうという課題もあります。そこで、「アクティブ・チャイルド・プログラム」を通じて、鬼ごっこや伝承遊びなどの“運動遊び”をベースに、「身体を動かすことは楽しい」という原体験を、小学校低学年や幼少期のうちに育む取り組みも行っています。

さらに、4年生以上を対象とした「マルチスポーツクラブ」では、バスケットボール、野球、サッカー、バレーボールなどを3カ月ごとに体験できる仕組みを整えています。中学生になっても複数の競技に取り組むことが当たり前となる文化をつくりたいと考えています。

日本では「部活動文化」が根強く、一つの競技に専念することが一般的です。しかし、複数のスポーツを選択できる環境があれば、子どもたちは自分に合ったものを見つけやすくなりますし、発達の観点から見てもマルチスポーツには大きなメリットがあります。

例えば、現在サッカーをしている子どもたちも、練習は週3回に設定し、空いた時間でバスケットボールに取り組んだり、文化活動に参加したりすることができます。スポーツだけでなく文化活動も含めながら、子どもたちの選択肢を広げられる環境をつくっていきたいと思っています。

人口減少が進む地域だからこそ、新しい仕組みを生み出せる可能性があります。行政、学校、地域、そして子どもたち自身が一緒になって、これからの時代に合ったスポーツ環境をつくっていく。その挑戦を、西粟倉村から発信していきたいと考えています。

あとがき

今回の取材を通して印象的だったのは、「キャリアは偶然の積み重ねでできている。でも、その偶然は行動した人にしか訪れない。」という言葉でした。

ラクロスとの出会い、日本代表への挑戦、挫折と再起、そして西粟倉村への移住。どれも最初から描いていた未来ではなく、その時々で自分自身と向き合いながら選択を重ねてきた結果、今につながっています。

人口約1,300人の小さな村から、スポーツを通じて子どもたちの可能性を広げようと挑戦を続ける清家さん。その姿からは、「正解は与えられるものではなく、自分でつくっていくもの」というメッセージを感じました。

これから西粟倉村で生まれる新しい挑戦が、子どもたちや地域にどのような未来をもたらしていくのか。今後の活動にも注目していきたいと思います。

今回は貴重なお話をありがとうございました。今後のご活躍を心より応援しております。