「ラグビーに恩返しを」〜女子レフリー池田韻の世界への挑戦〜

まえがき

福岡県福津市出身、小学2年生からラグビーを始め、中学では陸上とラグビーを両立。高校からはラグビーに専念し、第97回全国高校ラグビー大会「U18花園女子15人制」に出場するなど選手として活躍し、福岡高校を卒業後、早稲田大学に進学。大学入学後はレフリー資格を取得し、ラグビー審判員として新たな一歩を踏み出しました。

早稲田大学を卒業後は「株式会社識学」に所属し、日本ラグビー協会公認のレフリーとしてはもちろんのこと、日本ラグビー協会公式YouTube番組「Girls Rugby Channel」のMCを務めるなど、多方面で活躍中の池田韻さんに「心ときめく歩きかた」を伺いました。

“見たい景色”に向かってひたむきに歩み続ける

小学生の頃からラグビーを始め、中学では「福岡レディース」に所属していました。ちょうどその頃、北九州でセブンズ(7人制ラグビー)の大会が開催され、福岡レディースのメンバーとして補助員を務める機会がありました。私はレフリーのサポート役として、給水の手伝いなどを任され、大会期間中にはレフリーの控室にも出入りさせてもらっていました。

そこで出会ったのが、女子レフリーの上原睦未さん。高校生の男子ラグビーの試合で笛を吹く姿を見て、「ラグビーは選手だけじゃなく、いろんな人に支えられて成り立っているんだな」と強く実感したんです。その時の経験は、レフリーという道に興味を持った大きなきっかけとして心に刻まれていました。

そこから高校進学時には、伝統ある早稲田大学ラグビー部への憧れもあり、「勉強もしっかりしながら、ラグビーも続けたい」という思いから、文武両道の印象が強かった福岡高校への進学を決めました。高校では男子チームで活動しながら、地域の代表としても経験を積んでいきました。ただ、その中での怪我をきっかけに、第一線でラグビーを続けることは難しいと感じるようになり、大学以降はラグビーに関わり続ける一つの選択肢であった、レフリーへ転向することを決意しました。

「高校3年生の引退までは選手としてやり切りたい」という気持ちがあったので、引退し、大学受験を終えた後、福岡高校ラグビー部の顧問の先生――レフリーでもあった先生のもとで、後輩たちの練習に参加しながら、レフリーとしての動きや基礎を教わるようになりました。

その後、早稲田大学へ進学し、4年間でレフリーの資格を取得。私が始めた当時はC級を取得すると、都道府県の大会で笛を吹くことができました。現在はB級で、日本ラグビー協会が運営する「レフリーアカデミー」に所属しています。将来的に世界で活躍する若手レフリーを育成するためのプログラムで、海外の試合や国際大会に携わる機会も少しずついただいています。

大学時代から「世界大会で笛を吹く」という目標を描いていた私にとって「世界を目指すうえで、今の自分には何が必要か」を考えたとき、語学力――特に英語は必要だと感じていました。英語を話せることは自分の強みにもなると考え、フィジーでの海外研修に参加しました。

フィジーではラグビー文化が根づいていて、まさに“ラグビーが国技”といった国。ラグビー選手がヒーローのような存在で、大会には多くの観客が集まり、声援を送ります。発展途上国であるフィジーには地域代表の女子選手でも、自分のスパイクを持っていないことがあり、先に試合が終わった他の選手から借りて出場する場面も見かけました。

それでも、国をあげてラグビーが好きで、子どもたちも近所のグラウンドに集まって自然とラグビーを始める――そんな文化の違いにも、強く心を打たれました。フィジーでの経験は、ラグビーに関わる“幸せ”を改めて実感させてくれた時間でしたね。自分がどれだけ恵まれた環境でプレーできていたのか、改めて感じましたし、やっぱりラグビーって楽しいな、と初心に帰るような気持ちになりました。

「心ときめくもの」を見つけるためには

とにかく、いろんなことを「やってみる」ことがすごく大事だと思います。私がラグビーを始めたきっかけも、兄弟がラグビーを始めるタイミングで、「一緒にやってみよう」と思ったことから始まりました。最初はラグビーを一緒に頑張っていた“仲間”の存在が大きくて、気づけば続けていました。もちろん、やらないという選択肢もありましたが、あのとき「やってみる」ことを選んで、本当に良かったと思っています。

思い返せば、中学生の時、ラグビーに専念することを選んだのも、「ラグビーにときめいた」から。やっぱり、「ときめき」ってすごく大切だと思うんです。将来を見据えて計算したり、じっくり考えたりすることも大切だけど、それだけじゃなくて、心が動く瞬間、自分が一生懸命になれるものを選ぶことが、やはり一番だと考えています。そういう「心ときめくもの」を大切にしてほしいなと思います。

そして、レフリーとして活動するようになってからは、出会いや繋がりの大切さをさらに実感しています。さまざまな人と関わるなかで、新しい視点や選択肢が自然と広がっていきました。直接会話を交わさなくても、「あの人の考え方、かっこいいな」と思ったり、「あの人だったらこうするかも」と想像したり。そうやって心に残った誰かの姿や言葉が、気づけば自分の行動の指針になっていることもあります。もちろん、自分の意志や気持ちを大切にすることが前提ですが、周りの背中が、そっと支えになってくれることも多かったです。

選手時代の仲間と同じ舞台に立ちたい

今年3月、ラグビーの国際競技連盟「ワールドラグビー」が主催する試合に、初めてレフリーとして参加する機会を得ました。世界の舞台で結果を出さなければならないという責任とプレッシャーの中で、日本代表としてしっかりと準備を重ねて臨みました。

日本人は私ひとりでしたが、レフリーの中には以前から知っている方がいたこともあり、温かい雰囲気の中で緊張しすぎることなく試合を楽しむことができました。海外の試合では、日本から何人、アジアから何人というような枠も決まっていないので、タイミングや日頃の評価によってチャンスが変わってきます。そんな中で世界大会にデビューできたことは、自分にとってかけがえのない経験となりました。

中学や高校時代に一緒にプレーしていた仲間たちが今、日本代表として活躍していて、その仲間とレフリーとして同じ舞台に立てていることが、本当に嬉しいです。そしてこれからも、「同じ舞台に立ちたい」という気持ちは、いまの自分を突き動かす大きなモチベーションになっています。

2028年ロサンゼルスオリンピック、そしてその翌年にオーストラリアで開催される女子ラグビーワールドカップという大きな目標に向けて、一つひとつの機会を大切にしながら、今できることを精一杯やりたいという思いで日々の活動に向き合い、自分自身を高めていきたいと思っています。

あとがき

レフリーとして世界に挑戦する姿は、本当に逞しく、責任感の強さやラグビーへの真摯な想いがひしひしと伝わってきました。見たい景色のために努力を惜しまず、自分を支えてくれた方や環境への感謝を忘れずに挑み続ける姿は、レフリーとして邁進し続ける秘訣そのものだと感じました。

貴重なお話をありがとうございました。これからも池田さんの挑戦を心から応援しています。

運営会社公式サイト