福岡医健・スポーツ専門学校を卒業後、スピードトレーニングの道を志した坂本修一さん。さまざまな現場での経験や葛藤を経て、バックパッカーとしてアジアを旅したのち、帰国後は子ども向けスクール事業を展開する日本最大手「リーフラス株式会社」に就職。その後、「一般社団法人ウィニングウェーブ」を設立し、現在は350名を超える子どもたちの指導をされています。今回は、そんな坂本さんの「心ときめく歩きかた」を伺いました。
指導者として歩んだ軌跡
福岡医健・スポーツ専門学校へ進学し、トレーナーとしての基礎を幅広く学ぶ中で、さまざまな分野の先生方の現場に同行させてもらえる機会がありました。その中でスピードトレーニングの現場に触れた際、「足は速くなるんだ」と衝撃を受け、専門学校1年生の前期の段階で進む道を決めました。
卒業後の3年間はスピードトレーニングコーチとして活動しましたが、当時はこの職業自体ほとんど知られておらず、「これで生活していけるのか」という不安の方が大きかったです。
当時は他のアルバイトと掛け持ちしながら“師匠と弟子”のような関係で現場に同行する、まさに修行のような日々でした。金銭的にも厳しく、労働時間も報酬も不安定。自分で準備費を負担することも多く、精神的にも体力的にも限界を感じ、一度スポーツ業界を離れる決断をしました。
その後は生活のために、半年ほどトヨタの期間工として働くなど、さまざまな葛藤を抱えながら過ごしました。「これから何をしようか」と考え続ける中で旅に出ることを選び、仕事を辞めたあと、東南アジアのタイなどを3ヶ月ほどバックパッカーとして旅しました。現地の子どもたちと触れ合う中で、「やはり自分はスポーツを通して人と関わりたい」と強く感じ、もう一度スポーツの世界に戻ることを決意しました。
その後、まずは介護施設での運動指導の仕事を3年間続けました。平日は介護施設で運動指導、土日は子どものかけっこ教室で指導するという生活の中で、知人の紹介をきっかけに、子ども向けスクール事業を全国展開する日本最大手「リーフラス株式会社」に転職しました。
入社当初は未経験で剣道教室を担当することになり、友人に袴の結び方から教えてもらい、仕事終わりに必死に練習する日々を送りました。
そして、社員たちがスクールを戦略的に運営し、子どもたちを集めている姿を見て、「これが組織としての強さか」と衝撃を受けました。それまでは「指導を極めれば結果が出る」と考えていましたが、指導力とマーケティング力の両方を身につけなければ、自分でやっていくことはできないと痛感し、2年間は剣道教室の指導と並行して、スクール運営を徹底的に学ぶことを決意しました。
全国大会経験者など実績のある社員5人ほどと同じ基準で評価される中、「どうすれば勝負できるか」と試行錯誤を重ねるうちに、専門であるスピードトレーニングを組み合わせた、自分の理想の形で指導できる環境をつくりたいとの想いが強まりました。30歳を目前に、「今やらなければ一生後悔する」と考え、独立を決意。「一般社団法人ウィニングウェーブ」を設立しました。


バックパッカーの経験が導いた「覚悟」と「出会い」
バックパッカーを始めたのは、当時出会った方が「自分はバックパッカーで世界を回っていた」と話していたことがきっかけでした。そのとき、「人生で一度は経験しておくべきことなのかもしれない」と感じたんです。そして、「もう一度、自分の可能性を広げるなら今かもしれない」と思い立ち、挑戦してみようと行動に移しました。
最初は「いろんな場所を回って、さまざまな気づきを得たい」という思いで旅を始めました。宿を転々とする中で、次第に「本当にスポーツの道に進むのか」「今から別の道を目指せるのか」と自分の将来について考えるようになりました。
そして最終的に、「やっぱり自分はスポーツしかない」と強い覚悟が固まり、「何が何でもやってやる」「誰に何を言われても自分の道を貫く」と決意した経験になりました。
それから13年後、家族とともにタイを訪れる機会がありました。
タイには日系企業も多く、日本人がロサンゼルスに次いで多い地域ということもあって、「日本人向けの仕事をしている人もいるかもしれない」と調べてみると、4〜5件ほど見つかりました。
いつかは世界の子どもたちに指導したいという思いもあり、試しにメールを送ってみると、すべてのところから「話を聞きたい」と返事をいただいたんです。「これはタイミングだ」と感じ、後日改めて一人でタイに向かいました。
現地では「10分だけ指導してほしい」「30分だけ見せてほしい」といった依頼を受け、若手選手たちを指導する機会をいただきました。日本で10年間積み上げてきた知識や経験をもとに指導してみると、現地の方々にとても喜んでいただきました。その出会いや出来事が本当に面白く、現地の空気にも強い刺激を受けました。また、現地ではトレーニングに活用できる道具を作っている方にも出会い、新たな仕事にもつながりました。
バックパッカーとして訪れていた当時は、まさか同じ場所で将来仕事をすることになるなんて想像もしていませんでしたが、今では自分で営業をかけ、仕事として成り立っているのを見ると、「あの時の経験が今につながっているんだな」と実感します。
あの頃の自分に「頑張ってるぞ」と声をかけてあげたいですし、行動することで新しいつながりが生まれ、新しい気づきを得られることを改めて感じました。
20代は決して順調ではなく、思い通りにいかないことの連続でした。それでも、その時期にさまざまな経験ができたからこそ、行動してよかったことは自信になり、うまくいかなかったこともすべてが今の自分にとっての糧になっていると感じています。



チラシ1枚から始まった挑戦の道のり
スクールを立ち上げた当初は、ホームページもなく、会場探しからのスタートでした。1人で4会場を回ってようやく場所を確保し、チラシ1枚を手に、1か月半にわたって地域の小学校を一校ずつ訪ね、毎日配って回りました。
当時は「運動教室」や「フィジカルトレーニング」という言葉が今ほど浸透しておらず、「何をするの?」と聞かれることも多くありました。家族にも心配されながらの挑戦でしたが、生活がかかっていたので、「もし入会者がいなければ終わり」という覚悟で、必死に取り組んでいました。
とにかく学ぶことを惜しまず、スプリントコーチのセミナーやプロ選手が通うトレーニングの見学にも積極的に足を運びました。熊本でプロを招いたセッションがあると聞けば「見学させてください」とお願いし、実際にプロ選手たちと一緒に動きながら学ばせてもらいました。宮崎でのトレーニングにも同行し、得た知識をどう子どもたちの指導に落とし込むか、試行錯誤を重ねました。こうした経験が、「体験してもらえれば必ず良さが伝わる」という確信に繋がっていきました。
その自信があったからこそ、まずはその“入り口”をどう開くかが勝負。「どれだけ準備をしても、誰も来てくれなければ意味がない」と自分を追い込み、チラシ配りにも全力を注ぎました。
校門前でチラシを配っていると、「このお兄ちゃん面白そう」「足が速くなりそう」と声をかけてくれる子がいて、実際に「体験に行きたい」と電話がかかってきた時は本当に嬉しかったです。
体験会当日は、かつて大人数のスタッフで行っていたことを、当然すべて自分一人で対応しなければならなかったので、受付も人手が足りず、妻や知人にお願いして立ってもらいながら実施しました。
「これ以上のやり方はない」と思えるほど追い込まれた状況でしたが、ありがたいことに約90人の子どもたちが体験に来てくれ、そのうち60名が入会してくれました。
今でも、新しい会場を担当するときは必ず社員と一緒に地域を回り、直接声をかけに行きます。午前中の仕事を終えたあとは社員と合流してチラシを配り、夜はスクールへ向かうという日々。きっかけを自分たちの手でつくる努力は、今も変わることなく続いています。
子どもたちを取り巻く環境は日々変化していますが、これからも運動の価値は決してなくならないと考えています。AI化が進む現代においても、体を動かすことは人間にとって本質的な活動です。好きなことに挑戦するためにも、体力や気力は欠かせません。だからこそ、その原点となる場所をつくり続けたいと思っています。
運動指導の仕事は、これからの時代にも必要とされ続ける分野です。「成長の大地をつくる環境づくり」という理念を掲げ、時代とともに変化を恐れず、より良い形で継続・発展させていきたいと考えています。


あとがき
現場での経験や葛藤を糧に、自らの理想の指導を追い求め、スクール事業を立ち上げた坂本さん。一貫して「成長第一の環境をつくり続ける」という想いを軸に、試行錯誤を重ねながら歩んでこられたことが伝わるお話でした。その姿勢からは、指導者としての誠実さや情熱がひしひしと感じられます。今後も、坂本さんの活動に注目していきたいと思います。









