福岡大学を卒業後、サガン鳥栖に入団。その後、徳島ヴォルティスやカターレ富山などで活躍し、12年間にわたりプロサッカー選手としての道を歩まれた衛藤裕さん。引退後は一度サラリーマンとしての生活を経験しながらも、再びサッカーの世界に関わる新たな道を切り開き、現在はジュニアサッカーマガジン『VAMOS』を監修する衛藤裕さんの「心ときめく歩きかた」に迫りました。
”VAMOS”が立ち上がるまでの軌跡
高校の同級生が、中学生年代を対象にした野球のフリーペーパーを立ち上げたことが、私にとってメディアの世界へ踏み出すきっかけになりました。彼はすでにその活動を14年続けていて、現役時代から「引退したらサッカー版をやってみたら?」と勧めてくれていたんです。ただその当時の私は、一度サッカーから離れて、まずは一般社会で働いてみたいと考えていました。サッカー一筋で歩んできたからこそ、引退後には、社会の中で新たに学ぶ必要があると感じていたんです。
実際に引退後は、監督やコーチ、スカウト業といったお話もいただきましたが、セカンドキャリアとして一つのチームに関わるよりも、「もっと広い層に何かを届けられる方法はないか」と考えていました。それに、10年以上プロの世界にいたからこそ、結果を出さなければすぐにクビになるという厳しさもよくわかっていましたし、引退後は家族との時間も大切にしたいという思いも強くありました。そうした背景もあり、最終的には地元・福岡に拠点を置き、引退後の約4〜5年間はサラリーマンとして働く道を選びました。
現役選手として12年間、昼には帰宅して自由な時間が多い生活を送っていましたが、引退後に朝から晩まで8時間働くスタイルには、慣れるまでが本当に大変でした。現役Jリーガーだった時代は、多くの方に応援していただき、持ち上げてもらう場面も多くありましたが、サッカーを離れた瞬間、自分は何も知らない新人。パソコンの操作も一から学び直し、人間関係もゼロから築いていく日々を過ごしていました。
その間に息子がサッカーチームに入団し、学年が上がるにつれて試合も増え、“保護者として”応援に行くようになりました。会場には多くの保護者が集まり、子どもたちが一生懸命プレーする姿に心を動かされるたびに、「熱く応援したくなる気持ち」が自然と芽生えているのを感じました。ちょうどその頃、元Jリーガーとして参加したイベントで子どもたちと触れ合う機会があり、そこで改めて「やっぱり自分はサッカーが好きなんだ」と再確認することができました。次第に、「セカンドキャリアとして、メディアの道でサッカーに関わることができないか」と考えるようになり、以前から心の中にあった「地元・福岡に恩返しがしたい」という想いとも重なって、すぐに友人に相談。こうして、ジュニアサッカーマガジン『VAMOS』を立ち上げることになりました。


“プロ”と呼ばれる世界で生きていくには
振り返ると、プロ入りした当初は、全日本大学選抜に選ばれたこともあって、「試合には出られるだろう」とどこかで思っていました。実際、開幕戦からスタメンとして出場することができました。しかし、チームの連敗などもあり、数試合後にはメンバーから外れてしまったんです。そのときの自分は矢印を自分に向けられず、他の選手や監督のせいにしてしまっていたんです。その気持ちが態度にも表れて、パフォーマンスもどんどん落ちていきました。そんな状態のまま練習を終え、オフの時間も悶々と過ごしていましたが、一人で考える時間の中で、「このままじゃいけない」とようやく気づき、自分の態度を見つめ直すようになっていきました。それまであまり習慣のなかった読書も始めて、過去の代表選手たちの本を読みながら、自分と同じような苦しい時期をどう乗り越えてきたのかを学びました。そして、「このまま他人のせいにしてマイナスな空気を出し続けていたら、絶対にチャンスなんて巡ってこない」と、心から気づくことができたんです。
そこから、「すべては自分次第だ」と思いを改め、普段の姿勢を大切にしよう、しっかりアピールしよう、やるべきことは全力でやろうと意識を変えることができました。大学を卒業してプロ入りしてからの1〜2年、どんなに能力があっても、言い訳ばかりで行動を変えない選手は、プロの世界では生き残れないという現実を、身をもって痛感しました。その時、「このままではいけない」と気づき、自らの姿勢を改めることができたことは、その後のサッカー人生において大きなターニングポイントだったと感じています。
どれだけ自分の調子が良くても、チームが負けたり連敗が続いたりすると、どこかにテコ入れをして、メンバーや戦術が変えられる――そんな世界です。どんなスポーツでも同じかもしれませんが、チームが勝てていないという理由で、自分のパフォーマンスに関係なくメンバーを外されることもあります。だからこそ、毎試合、結果と自分のプレーを常に気にしていましたし、その分プレッシャーも大きかったです。もちろん、試合に出られている時期は、気持ちも前向きでいられますが、いつもそうとは限らない。「次は自分が外されるかもしれない」と、スタメン発表の瞬間は毎回ドキドキしていました。メンバーを外れたときには、なぜ自分が起用されないのか、監督が何を求めているのかを直接聞きに行くこともありました。ただ、負けず嫌いな性格もあって、練習中に言葉が荒くなってしまうこともありましたが(笑)。それでも、そんな自分を信頼して使ってくれた監督や、支えてくれたスタッフには本当に恵まれていたと思います。
メンタル的に落ち込むことも少なくありませんでしたが、家族ができてからは、その存在が癒しであり、安定剤にもなってくれました。移籍を繰り返す中でも、食事やメンタルの面でとても大きな支えとなってくれました。家でしっかりリフレッシュできたことで、試合にもリラックスして臨むことができるようになりましたし、年齢を重ねるにつれて「堅苦しく考えすぎず、いつも通り自分らしくプレーしよう」と自然に思えるようにもなっていきました。
サッカー選手の平均引退年齢を考えると、自分が34歳まで現役を続けられるとは、正直思っていませんでした。プロとして通算300試合ほど出場してきましたが、その中で手術も何度か経験しましたし、パフォーマンスが落ちれば、数試合でメンバーを替えられるような立場でもあったので、常に危機感を持ちながらプレーしていました。そもそも、30歳を超えるまで続けられるとも思っていなかった中で、32歳のときに初めて契約満了を提示され、「そろそろ引退かもしれない」と考えるようになりました。そんな時、何人かの先輩から「人生経験としてトライアウトに出てみてもいいんじゃないか」と声をかけてもらって。ちょうど仲の良い先輩もラストチャンスをかけて参加するという話を聞き、自分も思い切ってチャレンジしてみたんです。
その挑戦が実を結び、オファーをいただくことができ、そこからさらに2年間、プレーを続けることができました。そして、その2年の契約が満了となったタイミングで、現役引退を決意しました。最初は「いつまで続けられるか分からない」と思いながら飛び込んだ世界でしたが、毎日が勝負という緊張感の中で必死に戦い続けてきたことが、自分を34歳まで走らせてくれた理由だと思っています。

2周年を迎えてさらなる夢の実現へ
『VAMOS』は2周年を迎え、いよいよ3年目に突入しました。
一度サッカーの現場を離れたことで、保護者の立場から子どもを応援する日常を経験できたこと。そして異業種で働いた経験を通して、スポーツ業界とは異なる視点を得られたことが、自分の中で「サッカー雑誌をつくりたい」という発想へとつながっていきました。だからこそ、サッカーから距離を置き、サラリーマンとして働いた時間は、今振り返っても本当に大切な時期だったと感じています。
右も左も分からずに走り出した創刊当初は、本当に怒涛の日々。もともとはサッカー選手として取材される側だった自分が、今度は企画を立て、質問を考え、取材し、記事をまとめる――制作も営業もすべて初めての経験で、濃密で刺激的な時間でした。そんな中、カメラマン、デザイナー、ライターなど、それぞれの分野で活躍するスペシャリストの方々が協力してくれたことは、本当に心強く、ありがたい存在でした。「子どもにとって読みやすい工夫をしたい」「カッコいい読み物に仕上げたい」――そんな想いを共有しながら、一緒に作り上げてきたものが、今の『VAMOS』です。

今では企画もスムーズに進められるようになり、取材から営業、イベント運営まで一人でこなしています。大変なことも多いですが、それ以上に大きなやりがいを感じています。現役時代、自分自身も新聞記事を切り抜いて保管していたことを思い出しながら、デジタル全盛の今だからこそ、あえて“紙の雑誌”というアナログな形を選んだことに、確かな手応えを感じています。「小学生の頃にこんな雑誌があったら絶対に喜んでいたはず」と思えるものが形になり、実際に選手や保護者の方々をはじめ、さまざまな関係者の方々から反応をいただけたことが、大きな自信にもつながりました。
あっという間の2年間でしたが、「雑誌に載りたい!」という子どもたちのモチベーションや、誌面に登場した友だちを見て刺激を受けている様子を目の当たりにできるのは、何よりのやりがいです。側で見守ってくれていた家族も、「やっぱりサッカーに関わっているときが一番生き生きしているね」と言ってくれて、雑誌を個人で立ち上げるという、少し珍しいセカンドキャリアの道を選んだ自分の背中を押してくれました。
そのおかげで、「またサッカーに関わる仕事ができたら」という漠然とした思いが、雑誌の創刊をきっかけに少しずつ形になり、今では多くの人とのつながりが生まれ、イベントも開催できるようになりました。やりたかったことが明確になり、少しずつそれが実現している実感があります。迎える3年目。新たに思い描いている夢の実現に向けて、さらに取り組みを深めてまいります。これからの『VAMOS』にも、どうぞご期待ください。
あとがき
プロという厳しい世界で12年間、勝負を続けてこられた衛藤さん。その経験から、自らの手で新たなフィールドを切り開かれている姿に、強い感銘を受けました。今回の取材では、「VAMOS」が誕生するまでの歩みだけでなく、その裏側にある想い、そして挑戦に向かうエネルギーにも触れることができました。
福岡の地から始まった『VAMOS』は、子どもたちの夢となり、多くの人の心を動かしています。そして、「心ときめく歩きかた」という言葉の本質は、未来を信じて動き続けること、そして迷いの中でも答えを探すことにあるのだと、あらためて気づかされました。この度は、貴重なお話を本当にありがとうございました