14歳で単身マルタに渡り、ACミランのサマーキャンプに挑戦した松本さん。FCバルセロナのサッカーに魅了され、中学卒業からわずか2週間後にスペインへ本格留学し、モンテネグロ2部ではプロとして、スペインではセミプロ選手として活躍。
その後、度重なる怪我をきっかけに指導者の道へ進む決意を固め、スペインサッカー協会公認コーチライセンスを取得。スペイン4部のチームでセカンドコーチとして指導者の道を歩み始め、バルサアカデミー奈良校の立ち上げを機に日本へ帰国。その半年後にはJ1クラブ・アビスパ福岡で通訳兼コーチを務めます。
育成年代の指導経験を重ね、現在はバルサアカデミー福岡校でジュニアユースチームを率いる松本さんの「心ときめく歩きかた」をたどります。
現地の環境に”心ときめく”サッカー生活
小学生の頃、友達のお兄ちゃんに憧れてサッカーを始め、中学生になると、スペインが国際大会で3連続優勝した試合を観てFCバルセロナのサッカーに魅了されていきました。これまで見てきたサッカーと全く違う面白さがあると感じたことは今でも鮮明に覚えています。その後、代表選手が多く所属していたFCバルセロナの試合でリオネル・メッシのプレーを観た時、身長が低くても活躍できる姿に勇気をもらいました。それをきっかけに、幼い頃の自分は「プロ選手になってバロンドール(その年の最も優れた選手に贈られる世界的な賞)を取りたい」という夢に向かい、不可能と言われることを可能にするためには何を身につけるべきか、常に考えながら取り組むようになりました。
また、子どもの頃見た『キャプテン翼』で、主人公がブラジルに留学する場面に憧れを抱いたことも、海外挑戦の原点の一つでした。そこで、まずは夏休み期間に行われるイタリア・ACミランのサマーキャンプに参加することになりました。日本人は自分ひとりだけだったため、最初の1週間はホームシックになりましたが、週末の試合で現地のサッカーの楽しさを知り、翌週からは帰りたくないと思うほど楽しめるようになりました。ピッチ内では要求が厳しく、喧嘩をすることもありましたが、試合が終わるとすぐに切り替える選手たちを見て、日常的に高いレベルで競技ができる環境だと実感しました。
サマーキャンプを終え帰国した後、本格的にスペイン留学することを決意しました。中学校を卒業後、わずか2週間でスペインに送り出してくれた両親の理解とサポートも大きな支えになりました。


海外挑戦の機会を最大限に活かすため、日本人学校やインターナショナルスクールではなく、現地の学校に通うことを選びました。その結果、半年ほどである程度スペイン語でコミュニケーションが取れるようになり、スペインのチーム環境にもすぐに馴染むことができました。ハードルの高い方を選んだ判断は間違っていなかったと感じています。
スペインでは、トレーニングマッチのために準備する日本のスタイルとは異なり、リーグ戦がほぼ毎試合本気で行われる環境でした。共にプレーしていた仲間にはアルゼンチンの世代別代表選手もおり、高校年代で参加した際は、メンバー外や出られない選手が自分の枠を狙う緊張感がありました。常に“サバイバル”のような文化や環境が、自分にとって最も魅力的だったと感じています。
生活の中には常にサッカーがあり、午後の練習が終わると寮生みんなでテレビの前に集まって試合を観戦します。火・水にチャンピオンズリーグ、木にヨーロッパリーグ、土~月にリーグ戦が行われ、ほぼ毎日サッカーを楽しめる環境です。土日にはオフの時間を使って、午前はプレミアリーグ、午後はスペインリーグの試合を1日中観戦することもありました。時には、バルサvsアトレティコ・マドリードやチャンピオンズリーグのバルサvsバイエルンを現地で観戦し、会場の歓声に鳥肌が立つほどの感動を味わったこともあります。
ヨーロッパではイタリアやポルトガル、ドイツでもサッカーは盛んですが、特にスペインではサッカーが生活の一部として自然に溶け込んでいます。街のあちこちに人工芝のサッカー場があり、地域の人々は近くの小さなカフェ(バル)で練習を見ながら会話を楽しんでいます。常にサッカーに囲まれ、どっぷりはまれる環境が整っていたことで、サッカーなしの生活は考えられない自分にとって、スペインでの生活は「サッカーのために生きている」という感覚を味わえる日々でした。
心がときめくのは「チャンスを認識する瞬間」
モンテネグロ2部ではプロとして、スペイン4部ではセミプロとしてプレーしていた頃、度重なる怪我もあり、現役を続ける難しさを感じるようになっていました。サッカーを見る際には、選手としてプレーする視点だけでなく、監督がどう采配するかを自然と考えている自分に気づきました。そのため、怪我でプレーできなくなった後は「指導したい」という気持ちが強くなり、引退を決意しました。
引退後、指導者の道に進むため現地でスペインサッカー協会公認コーチライセンスを取得し、スペイン4部のチームでセカンドコーチを1年間務めました。6月、シーズン切り替えの時期に契約更新の判断を迫られる中、日本でお世話になった地元チームの監督から、「バルサ好きだったよな?」と声をかけてもらい、バルサアカデミー奈良校の開校スタッフ募集の情報を教えていただきました。「応募してみたらどうか」というアドバイスを受け、すぐに連絡をとりました。スペイン語ができることも評価され、帰国の機会を得ることができました。



その後、アカデミーの立ち上げスタッフとして勤務し、小学生対象のスクール事業やバルサキャンプの通訳を任されるようになりました。また、知り合いを通じてJリーグ・アビスパ福岡の海外監督招聘交渉の通訳を任せてもらう機会もあり、そこでの仕事ぶりを評価していただいたことから、バルサアカデミー奈良校を半年務めた後、翌シーズンからチームに加わることになりました。トップチームでは、監督交代までの1年間、通訳兼コーチとして活動。その後、「チームを指導したい」という思いを強化部に相談し、アビスパ福岡のアカデミーコーチとして3年間、小学生やジュニアユース(中学生)年代を担当しました。
一度はチームの指導経験を積むためにバルサアカデミーを離れましたが、「バルサのサッカーでチームを指導したい」という思いは常にあり、バルサアカデミー福岡校に2022年から新たに設立されたバルサアカデミー福岡ジュニアユースのコーチとしてのお話をいただき、そこから指導を続けて3年が経ちました。
日頃から指導しているチームで選手たちに伝えているのは、目標を設定する際に「明確な最高到達点」を決めることです。それが非現実的な夢であっても、そこから逆算して何をすべきかを考えることで、チャンスが訪れた時に掴みに行けます。「心がときめく」というのは、チャンスを認識する瞬間、「今だ」と感じる瞬間のことだと思います。なんとなく生きていると、チャンスが来てもそれに気づけないことがあります。自分の場合、逆算すると国内だけでなく海外での経験も夢に近づくために必要だと理解していたので、親からミランでのキャンプの話をもらったときも迷わず行くことを決意できました。
環境を選ばなければプロになることは比較的簡単ですが、「プロになりたい」と言うだけでは不十分。より大きな夢を叶えるには、Jリーグやバルサなど、高いレベルで戦わなければ夢には近づけません。バルサを一度離れ、Jリーグに飛び込む決断をしたこと。Jリーグに入った後も、バルサの11人制サッカーに携わるチャンスを掴めたこと。自分の中に軸があったからこそ、これまでの決断が可能だったと思っています。
常に「夢」に近い環境へ
最終的な目標はありますが、今は目の前にある環境を大事にしたいと考えています。現在は中学生62人の選手を預かっており、彼らと本気で向き合い、日々の成長を手助けしていきたいと思っています。その過程で、自分自身も学び続け、サッカーを極めていきたいと考えています。


実際に、バルサアカデミーではFCバルセロナから派遣されるスペイン人テクニカルディレクターが常駐しており、日本人コーチの指導内容も常に本部へフィードバックされています。年に一度バルセロナへ行く機会があったり、統括責任者が来日して視察することもある環境です。評価していただけるだけでなく、スペイン語でしっかりコミュニケーションを取り、多くのアドバイスを受けることができ、常に夢に近い環境に身を置けていると感じています。
将来的には、さらに上のカテゴリーに関わり、夢としては、トップチームで日本人初の監督になることを常に意識しながら、目標に近づいていきたいと考えています。そのためにも、心ときめく瞬間があれば恐れず飛び込み、自らチャンスを作れるよう、野心を持って努力していきます。
あとがき
バルサのサッカーに心を動かされた松本さんだからこそ歩んでこられた道があり、常に「心ときめく瞬間」を見逃さず、チャンスを掴んできた姿が印象的でした。心ときめくものを見つけて行動するそのバイタリティ。
そして、自ら選んだ環境だからこそ得られた経験や学びを大切にしながら、今は指導者として新たな夢へ挑み続ける姿に、強く心を打たれました。これからさらに大きな舞台へ歩みを進めていくであろう松本さんの姿を、これからも追いかけていきたいと思います。