まえがき
福岡J・アンクラスで選手として活躍し、学生時代から22年間続けたサッカーを昨年引退。現在は選手からチームスタッフとして、”支える側”の仕事に挑む宮本樹奈さんを取材。引退時の心境や、指導者としての姿勢など、これまで培ってきた経験を活かしながら歩んでいく「心ときめく歩き方」をお話しいただきました。
あのときの決断を振り返る
3年前のリーグ戦の第2節、前半終了間際に膝を捻って走れなくなり、交代を余儀なくされました。診断結果は、前十字靭帯断裂。結果を聞いたとき、頭が真っ白になり、これからのサッカー人生がどうなるのかと思うと絶望的で、診察後も泣き続けたことを覚えています。その後も、サッカーが本当に嫌になっている自分と、リーグが開幕してすぐの時期にチームの足を引っ張りたくないという想いで葛藤しながら、練習に参加する時期を過ごしました。
結局その年はリーグ戦に1回しか出場できず、不完全燃焼。シーズン終了後の面談時には「次で引退する」と心に決め、最後のシーズンを迎えることになりました。今振り返ると、裏で泣きながらも、なんとか練習には参加し続けたことが大きな挫折を乗り越えるポイントだったと感じています。
結果的には膝の状態が悪くてほとんど試合に出られず、リハビリ続きの年になりましたが、そんな状態でも自分なりにやりきろうと考え、サッカーができない間も、地域貢献活動のイベントに積極的に参加していきました。実際に、自分のSNS発信をきっかけにアンクラスを知り、応援してくれるようになったファンの方もいて本当に嬉しかったですし、地域やサポーターの方々と交流ができた貴重な期間を過ごすことができました。



“教える”側となり、伝えたいこと
選手を引退し、指導をはじめた当初は”教える”難しさを感じることもありました。でも、技術的なことを教えるよりも、特に意識したいのは、”サッカーを嫌いになってほしくない”ということ。サッカーを楽しく取り組むことができれば、自ら「やろう」という意欲が出てくるようになることは自分が今までサッカーと向き合ってきた経験から知っていますし、その方が成長すると思うんです。指摘されたことをこなしていると、自分が「何をしたらいいのか」分からなくなると思うので、自分で気づいて、周りを見て、学んでほしいと考えています。
そして、練習の最後にトレーニングの”質”について問うようにしています。毎回、学年ごとに反省点を話し、最後に「次からこうしたい」と改善点を言うのですが、「次から」と言うからには、いつやるのか、いつ変われるのか、目標に向かっているのになぜ指摘し合わないのか、必ず問い続けるようにしています。
最近では、選手同士がお互いに指摘し合える環境を作るために、それぞれの目標を共有する機会を作りました。言われたことを心に秘めているだけでは意味がない。みんなが目標を理解し合っていれば、「こうなりたいんじゃないの?」と互いに言い合えるようになる。お互いの目標を知っているので、それが指標の役割になってくれるんです。強い集団になるためにはまず、頑張れる集団になることだと伝えています。


“サッカーノートが語る”自分との対話の数々
自主的に自分と向き合うようになったのは高校の進路が決まった時。偶然目にした広告がきっかけでセレクションの情報を知り、地元九州を離れ、新潟県にある開志学園JAPANサッカーカレッジ高等部に進学することが決まりました。地元でも実際にいくつか練習参加していましたが、当時は「新しい環境でサッカーを習ってみたい」と考え、地元を離れることを決断しました。
ただ、そこまで遠くに行くとは自分でも思っていなかったですし、初めて家を離れ、サッカーと学業を両立することの厳しさもある。そこまでして今まで地元でサッカーをしてきた私が、「何のために地元から遠く離れた場所でサッカーをするのか。」その答えを探すためにも、きちんと自分と向きわなければいけないと思ったとき、意識が変わり、これからのサッカー人生を無駄にしないためにサッカーノートを書こうと自ら取り組むようになりました。

中学生のときは試合の日だけ書いていたサッカーノートも、高校からはチームから言われたわけではなく、自ら毎日のように、練習前に目標を立て、練習メニューを書いて、ポイントもまとめて、最後に「今日の自分はどうだったかな」と1日1ページ振り返りを書くようになっていきました。高校から始まったノートはその後も、大学、社会人になってからも続けていました。家にはこれまで書いてきたサッカーノートが山積みなので、ふと振り返ってはその頃の感情を思い出せるので、見返す時間も面白いです。



チームにできることがあれば最大限協力したい
引退直後は、長年続けてきたサッカーというものがなくなってしまった生活に、何をしていいかわからず、物足りなさを感じていました。でも今は、選手の頃から働かせてもらって4年目を迎える職場で仕事をしたあと、グラウンドに移動してサッカーの指導をして、土日はチームスタッフとして試合や遠征と、自分の時間も取れないほど忙しく走り回っています。まだ引退して間もないですが、チームスタッフとして関わるようになってからは、選手時代とは違う学びがたくさんあって、充実した毎日を過ごしています。
アンクラスに所属して6年目。今シーズンから新体制となり、チームとしてかなり大きな節目を迎えています。選手たちには「1年でなでしこリーグに戻れるように頑張ってほしい」と心から願っていますし、これまで所属してきたメンバーとして、どうやったら愛されるチームになるのかをいつも考えています。
一歩ずつチームと地域の方との関係性を積み上げ、なでしこリーグに昇格した時に、一人でも多くスタジアムに来て応援してもらえるチームになりたい。やっぱり、自分が最後に所属したチームには愛されるチームであり続けてほしい。チームが苦しい時でも、応援を続けてくれているサポーターの方々と一緒に、これからも最大限、チームに関わり続けていきたいです。
あとがき
サッカーを続けて22年間、その中で常にチームの一員として努力を重ね、チームのために自分が何をすべきかを考え続けてこられた姿が、取材を通して強く伝わってきました。人とのつながりを大切にしながら、どんなときもチームを最優先にする姿勢を貫いてきたからこそ、支える側となった今でも、多くのファンの皆さんに愛され、応援される理由なのだと感じました。改めて、今回の取材にご協力いただき、誠にありがとうございました。